「働き方改革関連法」の中の1つである「同一労働同一賃金制」が、2020年4月から新たに大企業で施行され、2021年4月から中小企業にも適用されます。
「同一労働同一賃金制制」は、アルバイトや契約社員、派遣労働者などのいわゆる非正規雇用労働者と呼ばれる立場の人と、正規社員(正社員)の待遇の格差をなくすことを目的とした制度です。
これにより企業は、同じ仕事をしているのに非正規雇用労働者の方が正社員より賃金が低いといった格差を設けることが禁止され、非正規雇用労働者は「正社員との待遇差の内容や理由」など、自身の待遇について会社側に説明を求めることができます。
もし企業側が「正社員との待遇差の内容や理由」を合理的に説明できなければ、非正規雇用労働者は行政に訴えることで、紛争を解決できるようです。
あまり報道されていないので、気に留めない方も多いかと思いますが、それは間違いです。この「同一労働同一賃金制」は働き方を大きく変えると言われる非常にインパクトのある制度です。
働く人すべてに今後影響していくこととなるので、何か問題に直面した際に、「知らない・知らなかった」では済まされません。早いうちに情報を集めておくことをオススメします。
元々「同一労働同一賃金」は、他の先進諸国では一般的に普及している制度であり、これまで日本だけ導入が遅れているような状況にありました。
日本においては「日本型雇用」という旧来の慣行から「正社員は安定している」「非正規よりも正社員の方が恵まれている」という考えを持った方が多いと思われます。一方で、その実情はどうでしょうか?
既に終身雇用・年功序列は崩壊しており、新卒で入社し定年まで働き続けることを前提とした人生設計は、公務員以外では難しくなってきています。それはトヨタや経団連のトップが語るとおりです。
働き方の多様化により、必ずしも正社員の方が非正規雇用と比べてスキル・能力が優れているとは言えません。
また、働く事情は人それぞれです。高いスキル・能力を持ちながら、子育てのため、両親の介護のためなどの理由から、あえて非正規雇用で働く道を自ら選択する人も少なくはありません。
こういった社会的背景から、「正社員で働くのは当たり前」という固定概念は、時代にそぐわないものとなってきていると言えます。
正社員として働く労働者には関係がないのでは?と思われるかもしれませんが、この制度の趣旨は、正社員と非正規雇用の賃金などの待遇格差を無くすことです。
つまり、これまで正社員の特権とされてきた各種手当や福利厚生が削減され、正社員であっても非正規雇用と変わらない扱いになる可能性が出てきます。
もちろん非正規雇用側の待遇を正社員に合わせる形で改善するケースもあるでしょう。
いずれにしろ企業側は、大幅な人件費増を避ける必要性があるため、業務整理・人事戦略などの見直しを行うことが予想されます。
正社員と非正規雇用の待遇に格差をつけられないようになれば、企業はより実力主義・成果主義の採用へとつき進むでしょう。「多少サボっても、成果を出せなくても安定した給料がもらえる」というような労働者の甘い考え方は通用しなくなります。
例えば、アルバイト・パートが8時間で行っている仕事を正社員が残業を含めて10時間かけて行っていればどうでしょうか?
非効率な仕事をしている正社員は切り捨てられ、アルバイト・パートなどの非正規雇用へと置き換えられる可能性があります。
見方を変えれば「あの社員は仕事ができない」「アルバイトの私の方が仕事できる」と感じている非正規労働者にとっては、同制度を根拠に企業側に賃金の是正を迫れるため、待遇改善の良いチャンスとも言えます。
令和の時代に入って働き方が多様化する中で、本制度により正社員の価値が下がっていくのは、ライフプランを見直すある意味では良いキッカケであると思います。
「労働契約」は、そもそも企業と労働者が対等な立場で交わす契約です。丁稚・奉公ではありません。そうした労働の本質を理解していない企業は、従業員を機械のようにコントロールしようとします。
もちろん、すべての企業がこれに該当する訳ではありませんし、労働者のことを第一に考えている企業の方が圧倒的に多いでしょう。
また、労働者の立場において、会社に人生を捧げることもひとつの生き方として否定はできません。
しかしながら、社会を取り巻く環境が変化することにより、正社員として働く価値や意味を見いだしにくい世の中になってきている以上は、今後何を重視して働いていくのが自身にとってベストな選択なのか、就職や転職の際によく考えるべきでしょう。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり
これは『学問のすすめ』の冒頭に掲げられた有名すぎる一節で、人間の本質的平等を説いたものです。
明治維新によって新しい時代に入り、福沢諭吉は政府に頼らない個人の自立による強い国民国家創設の必要性を強烈なメッセージとして発信しました。
そんな福沢諭吉の思いも虚しく、現代では、結局のところ会社であれ何であれ、他人の下につかなければ、他人が側にいなければ何も成し遂げれないという意識から抜け出すことができないでいます。
周囲を見渡せば、友人・同僚という枠組みで小さなコミュニティを形成し、まやかされた仲間意識・帰属意識で満足している、そんな場面を多く確認できるでしょう。
さらに続いて、司馬遼太郎著『坂の上の雲』の書き出しをご紹介します。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
だれもが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている。
これから先の未来は、会社や雇用制度に守ってもらうことが段々と難しくなります。そんな不安定な世の中で成功するために必要なのは、自立をすることです。
今まさに明治のような、自己の力で道を切り拓くスキルを身につけることが求められているのではないでしょうか。
いかがでしたでしょうか。今後の働き方を大きく左右するでもあろう「同一労働同一賃金制」についてお届けしました。
この記事が、何かアクションを起こす良いキッカケになれば幸いです。
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